大判例

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福岡高等裁判所宮崎支部 平成7年(ネ)38号 判決

控訴人兼附帯被控訴人(以下「控訴人」という。)

右代表者法務大臣

松浦功

控訴人兼附帯被控訴人(以下「控訴人」という。)

鹿児島県

右代表者知事

須賀龍郎

控訴人国、同鹿児島県指定代理人

富岡淳

外四名

控訴人鹿児島県指定代理人

小櫻公蔵

外五名

被控訴人兼附帯控訴人兼亡A1訴訟承継人(以下「被控訴人という。)

A2

亡A1訴訟承継人被控訴人兼附帯控訴人(以下「被控訴人」という。)

A3

右両名訴訟代理人弁護士

金井清吉

門井節夫

加藤文也

八尋光秀

幸田雅弘

主文

一  控訴人らの本件控訴をいずれも棄却する。

二  附帯控訴にもとづき、原判決を次のとおり変更する。

1  控訴人らは、各自、被控訴人A3に対し一七九九万七六八三円、被控訴人A2に対し二一二九万七六八三円及び右各金員に対する昭和五五年一二月五日から各完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

2  被控訴人らのその余の請求をいずれも棄却する。

三  訴訟費用は、第一、二審(附帯控訴を含む。)とも控訴人らの負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  控訴人ら

1  原判決中控訴人ら敗訴部分を取り消す。

2  被控訴人らの請求をいずれも棄却する。

3  被控訴人らの本件附帯控訴をいずれも棄却する。

4  訴訟費用は、第一、二審(附帯控訴を含む。)とも被控訴人らの負担とする。

二  被控訴人ら

1  附帯控訴に基づき、原判決を次のとおり変更する。

2  控訴人らは、各自、被控訴人A3に対し、金二七七一万一四一二円、被控訴人A2に対し金三三二一万一四一二円及び各金員に対して昭和五五年一二月五日から各支払済みまで年五分の割合による金員を支払え(遅延損害金請求の起算点に関して、当審で請求が拡張された。)。

3  控訴人らの本件控訴をいずれも棄却する。

4  訴訟費用は、第一、二審(附帯控訴を含む。)とも控訴人らの負担とする。

5  仮執行宣言

第二  当事者の主張

当事者の主張は、次のとおり付加、訂正及び削除するほかは、原判決の「第二 主張」と同一であるから、これを引用する。

一  原判決三枚目表六行目の末尾に次を加える。

「A1(以下「A1」ともいう。)は、平成七年三月二一日に死亡し、同人の権利義務一切は、同人の妻である被控訴人A2とA1の長男である被控訴人A3が各二分の一ずつ承継した。」

二  同四枚目表五行目の「同月」を「同年五月」に改める。

三  同七枚目裏二行目の「③」を「④」に、同四行目の「④」を「⑤」に改める。

四  同一四枚目裏八行目の「勾留求」を「勾留請求」に改める。

五  同二七枚目表三行目の「信用性をに」を「信用性を」に改める。

六  同二八枚目裏六行目の「甲の毛」を「甲'の毛」に改める。

七  同二八枚目裏一一行目の「甲の毛」と「甲の毛」は」を「「甲の毛」と「甲'の毛」は」に改める。

八  同二九枚目表八行目の「「甲の毛」は「甲の毛」と」を「「甲の毛」は「甲'の毛」と」に改める。

九  同三三枚目表九行目の「(心臓脚気)」を削除する。

一〇  同三三枚目表一〇行目の「そのため」から同一一行目の「により」までを「A1は昭和五五年一二月五日に保釈された後、平成七年三月二一日に死亡するまで、大動脈弁狭窄症、心臓左心室肥大症及び冠不全症等により」に改める。

一一  同三三枚目裏二行目の「今後とも右身体障害のため働けない」を「労働能力を喪失した」に改める。

一二  同三三枚目裏七行目の末尾に次を加える。

「なお、A1は、平成七年三月二一日に死亡したが、A1は、本件身柄拘束による苛酷な取調べにより、身体的機能の一部を喪失し、労働能力の一部を失ったのであるから、右労働能力一部喪失による損害発生後、A1が死亡したとしても、右身体機能の一部を失った時点で、その死亡の原因となる具体的事由が存在し、近い将来における死亡が客観的に予測されていたなど特段の事情がない限り、右死亡事実は就労可能期間の認定上考慮すべきでない。そして、本件においては、A1の後遺障害発生の時点で、A1の死亡を予見できるような事情は全く存しない。よって、A1の死亡は、既に算定した逸失利益の額に変動を及ぼさないものである。」

一三  同三四枚目表八行目の「できない」を「できなかった」に改める。

一四  同三六枚目裏一行目から五行目を次に改める。

「二〇 A1の死亡による相続

A1は、平成七年三月二一日に死亡し、同人の権利義務一切は、同人の妻被控訴人A2と同人の長男被控訴人A3が各二分の一ずつ承継した。したがって、A1の請求していた金五五四二万二八二四円については、承継人となった被控訴人A2及び同A3が各二分の一の金二七七一万一四一二円を相続することとなった。

二一 遅延損害金の発生時期について

不法行為による損害の遅延損害金は、不法行為時から発生する。被控訴人らは、昭和四四年四月一二日から保釈された昭和五五年一二月五日までの期間の違法な身柄拘束によって仕事ができなかったことによるA1の休業損害(金二五八四万六三五五円)を請求している。そして、A1の逸失利益の算定は、A1が保釈された昭和五五年一二月五日(当時四九歳)当時の後遺障害(身体障害者等級三級、労働能力喪失率七九パーセント)をもとに算定したものである。更に、A1に対する慰謝料の算定も、右後遺障害及び違法な長期にわたる身柄拘束等による精神的損害を算定したものである。また、被控訴人A2の慰謝料についても、夫であるA1が違法に逮捕され身柄拘束された間、殺人犯の妻とされたことによって被った精神的損害の賠償を求めたものである。

右いずれの損害も、遅くともA1が身柄拘束が釈かれた昭和五五年一二月五日には発生している。したがって、被控訴人らの被った損害の遅延損害金の発生時期は昭和五五年一二月五日とするのが相当である。

二二 結び

よって、控訴人ら各自に対し、被控訴人A3は金二七七一万一四一二円、被控訴人A2は金三三二一万一四一二円及び右各金員に対する昭和五五年一二月五日から各完済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。」

一五  同三六枚目裏一〇行目の「④」の次に「⑤」を加える。

一六  同三七枚目裏一、二行目の「第一ないし第四」を「第1ないし第4」に改める。

一七  同三七枚目裏六行目の末尾に「同二〇の事実のうち、A1が平成七年三月二一日に死亡し、同人の権利義務一切は、同人の妻被控訴人A2と同人の長男被控訴人A3が各二分の一ずつ承継したことは認め、その余の事実は否認する。」を加える。

第三  証拠

原、当審における書証目録及び証人等目録記載のとおりであるから、これを引用する。

理由

第一  本件訴訟に至るまでの経過の概略

右の点についての当裁判所の判断は、次のとおり付加及び訂正するほかは、原判決理由「第一」と同じであるから、これを引用する。

一  原判決五一枚目表八行目の「認められた」を「推定された」に改める。

二  同五一枚目裏七行目の「タイヤ」を「左前輪タイヤ」に改める。

三  同五一枚目裏一一行目の「一〇九」を「一〇八」に改める。

四  同五二枚目七行目の「同県」の次に「同郡」を加える。

五  同五二枚目表一〇行目の「一〇」の次に「、四二ないし四四」を、「四一二」の次に「四一三」を加える。

六  同五三枚目裏四行目の「八三、八四、八五」を「七九ないし八五」に改める。

第二  被控訴人らの主張の要旨と当裁判所の基本的判断

右の点についての当裁判所の判断は、次のとおり付加、訂正及び削除するほかは、原判決理由「第二」と同じであるから、これを引用する。

一  原判決五八枚目裏九行目の「顕著に」を削除する。

二  同五八枚目裏一〇行目の「可能性が乏しいのに」を「合理的根拠が欠如しているにもかかわらず」に改める。

三  同六一枚目表一行目の末尾に次を加える。

「なお、控訴人らは、公権力行使主体の故意・過失に関して、本件逮捕勾留が行われた昭和四四年当時において、本罪による逮捕勾留を利用する余罪取調べの違法性の判断基準がどのようなものであったかということが、右余罪取調べを違法と判断し、これに基づいて国家賠償責任を肯定する場合においては、担当公務員の認識内容すなわち過失の存否を決定する事実として極めて重要な事実となるものであり、別件逮捕、勾留の適法性解釈基準について昭和四四年当時どのように理解される状況にあったか十分検討すべきである旨主張する。この点については、後記第四の二において検討する。」

四  同六一枚目裏末行から同六二枚目表七行目までを次に改める。

「しかし、国賠法一条一項の違法判断の対象となるものは、あくまでも公務員の個々具体的な違法行為であって、行為の結果としての事実状態それ自体が行為規範違反としての違法性判断の対象となるのではない。そして、被控訴人らのいう「一連の身柄拘束状態」とは、公務員の公権力の行使の結果にすぎず、これ自体が違法性判断の対象になるものではなく、右身柄拘束状態を生ぜしめた公権力の行使としての個々具体的な行為(作為又は不作為)の違法性が検討されるべきである。

よって、以下、警察官、検察官、裁判官それぞれについて、本件において違法行為があったか否かについて検討する。」

五  同六二枚目表一一行目の「勾留請求」を「取調べ、身柄拘束に関する行為」に改める。

六  同六二枚目表末行の「、e一連の身柄拘束状態」を削除する。

第三  B夫婦殺害事件の捜査及び公訴提起の概要、別件の捜査、公訴提起及び審理の概要、並びに、その相関関係等について

右の点についての当裁判所の判断は、次のとおり付加、訂正及び削除するほかは、原判決理由「第三」と同じであるから、これを引用する。

一  原判決六四枚目表八行目の「あったの」を「あったのは」に改める。

二  同六四枚目裏一一行目の「タイヤ」を「左前輪タイヤ」に改める。

三  同六五枚目表九行目の「一〇八」を「一〇七」に改め、「二一〇」の次に「、二三一」を加える。

四  同六五枚目裏五行目の「B1方」の前に「一月一五日夜に」を加える。

五  同六五枚目裏六行目の「一二」を「一一」に改める。

六  同六六枚目裏一〇行目の「同県」の次に「同郡」を加える。

七  同六七枚目裏七行目の「四〇七」を「四〇八」に改める。

八  同六八枚目表二行目の「昭和三八年一〇月ころ」を「昭和三九年一〇月か一一月ころ」に改める。

九  同六八枚目裏六行目の「二二日付及び二三日付合計三通」を「二三日付二通」に改める。

一〇  同六八枚目裏七行目の「四月二四日付」を「四月二二日付、同月二四日付」に改める。

一一  同六九枚目表一行目の「甲一五」の次に「、乙四三、四〇八」を加える。

一二  同六九枚目表四行目の「鹿児島県」の次に「曽於郡」を加える。

一三  同六九枚目裏一〇行目の「右供述調書」の次に「のうち一通」を加える。

一四  同七〇枚目表一行目の「四三五」を「四三四」に改める。

一五  同七〇枚目表末行の「乙六四」の次に「、七七」を加える。

一六  同七〇枚目裏一一行目の「原告A1」から同七一枚目表一行目までを次に改める。

「A1を相当長時間取り調べた。A1の留置場出入り時間、調書作成状況は、別表記載のとおりである。A1が留置場外に出ていた時間はおおむね捜査官の取調べを受けていたものと推認されるが、その時間は同表記載のとおりである。

右によれば、

(一)  A1が鹿屋警察署に引致された四月一三日から本件で逮捕された七月四日までの間において、五九日間、合計三七三時間もの取調べが行われ、別件第一回公判が行われた五月二三日の翌日以降(五月二四日から七月三日の四一日間)に限っても、三二日間、合計約二〇六時間の取調べが別件勾留中であることを利用して行われたこと

(二)  四月中は、四月一三日五時間一四分、四月一四日一〇時間五五分、四月一五日七時間二三分、四月一六日七時間二〇分、四月一七日八時間一三分、四月一八日三時間五八分、四月一九日一〇時間一二分、四月二〇日(日曜日)九時間二五分、四月二一日一一時間三四分、四月二二日六時間四八分、四月二三日一〇時間三三分、四月二四日五時間二二分、四月二五日八時間四〇分、四月二六日五時間四七分、四月二九日(祝日)四時間五五分、四月三〇日七時間一五分の取調べが行われ、ほとんど連日、長時間の取調べが行われたこと

(三)  別件についての取調べの主なところは四月一三日のうちにほぼ終わり、あとは補充的なものが残っていたにすぎず(乙四五六号証、証人F)、現に別件に関しては四月一三日に二二丁もの員面調書が作成されたのちは、四月二二日付一通(八丁)、四月二三日付二通(三丁と四丁)、五月二日付一通(四丁)の員面調書が作成されているだけであること

(四)  特捜本部は、A1を逮捕・勾留した当初から本件の取調べを重点にして、長時間かつ連続した取調べを行っており、その取調べは夜間に及び、四月一三日から同月三〇日までの間に、午後九時以降まで取調べた日が一一日間、午後一〇時以降までに及んでいるのが、四月一四日(午後一〇時二五分)、四月一六日(午後一〇時)、四月一九日(午後一一時)、四月二〇日(午後一〇時二〇分)、四月二一日(午後一〇時四〇分)、四月二三日(午後一〇時二〇分)の六回もあること

(五)  五月中の取調べは、四月、六月以降に比べると回数、時間とも少ないものの、それでも一五回に達し、午後九時以降まで取調べたのも五月五日(午後九時四五分)、五月七日(午後九時五〇分)、五月二一日(午後一〇時三五分)と三回あること

(六)  六月からの取調べは、六月一日(日曜日)六時間一五分、六月二日五時間一三分、六月三日七時間二〇分、六月四日七時間五六分、六月六日八時間五八分、六月七日九時間五六分、六月八日(日曜日)九時間三二分、六月九日八時間二五分、六月一〇日九時間五五分、六月一一日七時間五分、六月一二日九時間三一分、六月一六日七時間一八分、六月一七日七時間一五分、六月一八日七時間二三分、六月一九日六時間四六分、六月二〇日五時間四八分、六月二二日(日曜日)三時間一六分、六月二三日七時間四六分、六月二四日七時間一九分、六月二五日八時間一一分、六月二六日七時間八分、六月二九日(日曜日)五時間二三分、六月三〇日五時間二五分、七月一日七時間四分、七月二日五時間四三分、七月三日六時間八分であり、ほぼ連日、日曜日の休みもなく行われ、その取調べは夜間に及び、午後九時以降まで取り調べた日が二二日間、午後一〇時以降まで取り調べた日も、六月一日(午後一〇時)、六月七日(午後一〇時四八分)、六月八日(午後一〇時二〇分)、六月一〇日(午後一〇時一五分)、六月一二日(午後一一時一五分)と五回あること

(七)  その取調べの中には、警察署長官舎等の勾留場所以外の場所における片手錠を施したままの取調べもあったこと

が認められる。」

一七  同七一枚目裏一行目の「三六三」の次に「、四一二」を加える。

一八  同七三枚目表三行目の次に改行のうえ次を加える。

「4 以上の諸点を併せ考えると、A1の右1の供述部分(原判決七一枚目裏四行目以降)には若干の誇張はあるものの、第一次逮捕後のA1に対する本件取調べは、鹿屋署への引致当日である四月一三日から始められ、四月一三日から二六日までの一四日間は休みなく、その後も五月中は一五日間、六月中は二五日間行われ、取調べの多くは午前中から午後一〇時前後まで行われ、四月中は約一〇日間にわたり警察署長官舎・警察官宿舎の畳の部屋に座らせて、片手錠を施したまま行われたものと認められる。」

一九  同七五枚目表末行の「一〇九」を「一〇八」に改める。

二〇  同七六枚目表二、三行目の「一時間」を「一時間半」に改める。

二一  同七六枚目表七、八行目の「午後一〇時三〇分ころまでには」を削除する。

二二  同七六枚目表末行の「六通」を「七通」に改める。

二三  同七七枚目表七行目及び同七八枚目裏末行の各「血痕らしきものの付着を認める」の次にいずれも「(ハンドル付近)、人血の付着を認めるが血液型は不明(荷台部分)」を加える。

二四  同七九枚目表一行目の「微量で」の前に「人血であるが」を加える。

二五  同七九枚目表七行目の「一〇二、」の次に「一五二ないし」を加える。

二六  同七九枚目裏六行目の「B2の口」を「B2から自分も殺してくれと頼まれ、また同女の口」に改める。

二七  同八一枚目裏七行目の「乙八三、」を「乙七四ないし」に改める。

二八  同八三枚目表九行目の「殺害」を「創傷」に改める。

二九  同八三枚目裏六行目の「小指大」を「小指頭大」に改める。

三〇  同八四枚目表四行目の「小指大」を「小指頭大」に改める。

三一  同八四枚目表六行目の「四三二」を「三四二」に改める。

第四  身柄拘束に違法性について

右の点についての当裁判所の判断は、次のとおり付加、訂正及び削除するほかは、原判決理由「第四」と同じであるから、これを引用する。

一  原判決八四枚目裏六行目末尾に次を加える。

「つまりは、捜査官が主として本件について取り調べる意図を有していたということは、第一次逮捕勾留自体の違法を導き出すものではなく、別件逮捕勾留中の本件取調べの許否、限度の局面で問題にされるべきである。」

二  同八八枚目表三行目の次に改行のうえ次を加える。

「4 違法性判断の基準時とその判断基準等について

(一)  控訴人らの主張

本件で問題とされるべきは国賠法上の公務員の行為の違法性の存否であるから、本件捜査処理のなされた昭和四四年時点で余罪取調べの違法性の判断基準がどのように解されていたのかに着目しなければならない。そして、昭和四四年時点における余罪取調べに関する刑訴法上の違法性の判断基準は次のとおりであった。

すなわち、いわゆる帝銀事件にかかる最高裁判所昭和三〇年四月六日大法廷判決をはじめとする一連の裁判例と学説の展開の下で、「捜査機関において、当初の逮捕・勾留事実について取調べの意図がなく、専ら本来の目的とする事件の捜査の必要上、名を別件に借り、当該逮捕・勾留を本来の目的とする事件の取調べに利用する場合、違法な逮捕・勾留となり、そうでなければ、ある事実で勾留中の被疑者に対する余罪の取調べは一般的には禁止されていない。」との判断基準が存在し、これに従って、実務が運用されていたものである。

そして、別件逮捕・勾留、余罪取調べの限界についての議論は、現行憲法が採用した令状主義の観点から大きな意義をもつとともに、実務上は捜査手法のあり方とも深く関連していて、議論をする者の価値観や捜査構造の理解が結論を大きく左右し、一概にどれが一般的な基準かを明確にし難い性格を有する一方、時の流れにしたがい、実務上の裁判例の集積から少しずつ方向づけがなされ、学説も展開しているところであり、最近になっても、別件逮捕の概念をどう把握するかという前提問題を含めて、多くの見解が対立しており、いまだ通説的な見解や一般的な取扱いは定まっていないものともいえる。さすれば、仮に、本件捜査処理後に新たな刑訴法上の判断基準が実務上定着するに至ったとしても、それは本件における国賠法上の違法判断基準として採用する余地のないものであるといわざるを得ない。

(二)  被控訴人ら

被控訴人らは、昭和四四年当時には「逮捕勾留できる程度の確実な証拠の収集ができなかった本件事件の捜査に利用する目的で、別件事件で逮捕勾留し、その逮捕勾留期間のほとんど大部分を本件の捜査に流用して、自供を得ようとする捜査方法は違法である」との判断基準が存在していた旨主張する。

(三)  当裁判所の判断

(1) まず、余罪取調べが違法となるか否かは、昭和四四年当時の判断基準(法的義務)に基づいて判断すべきか否か問題となるが、国賠法一条一項の違法は、前記のとおり、公権力の行使に当たる公務員が職務上の法的義務に違反することが必要と解され、その法的義務は公務員の行為当時を基準に判断されるべきである(行為当時に法的義務に違反していない以上その後の事情の変更によりさかのぼって違法となることは原則としてない。)から、控訴人らの行為が法的義務に反するか否かは、基本的には、昭和四四年当時を基準にして判断すべきであると解する。

そして、本件当時において別件逮捕勾留の違法性について種々の見解があるとしても、違法性の判断基準を事後的に認定し得ないものではない。

控訴人ら主張のとおり、別件逮捕、勾留、余罪取調べの限界についての議論は、ある意味で、捜査手法のあり方とも深く関連していて、議論をする者の価値観や捜査構造の理解が結論を左右し、時の流れにしたがい、実務上の裁判例の集積から少しずつ方向づけがなされ、学説も展開しているところであるといえなくもない。

しかし、別件逮捕勾留の違法性をどう考えるかという問題は、現行憲法が採用した令状主義に基本を置く問題であって、必ずしも実務慣行や学説、通達、部内意見自体それのみにより、違法か否かが決定されるべき問題ではない(仮に実務慣行、部内意見が右憲法、現行刑訴法等法の理念に基づく令状主義の本質に反する以上は、当該行為が実務慣行等に従ってなされたものであっても違法である。そして、令状主義に反するかどうかという問題は、そもそもは、文言的、技術的な解釈問題ではなく、制度の本質から直接導き出される問題である。すなわち、個々の判断要素、要件の細部については、時の流れにしたがい、裁判例の集積等から方向づけがなされ、学説の展開もなされるが、そのことは、根本原理自体が変動したことを意味するものではない。)。よって、本件当時において別件逮捕勾留の違法性について色々な見解があったとしても、違法性の判断基準がその見解に限定ないし拘束されるというものではないというべきである。

(2) そこで、本件(昭和四四年)当時の余罪取調べの違法性の判断基準について検討する。

① 本件当時においても、捜査機関において、当初の逮捕勾留事実について取調べの意図がなく、専ら本来の目的とする事件の捜査の必要上、当該逮捕勾留を利用するため、名を別件に借りて逮捕勾留する場合に、これが違法な逮捕勾留になるとの判断基準が存在していたことは当事者間に争いがない。

② そこで、捜査機関において、当初の逮捕勾留事実についての取調べの意図が全くないとはいえない(また、第一次逮捕勾留の理由が全くないとはいえない)場合も違法となる場合があるか否かが問題となる。

当裁判所は、右①以外にも、本件当時において、次のような場合は別件勾留中の余罪(本件)取調べは許されない(すなわち、違法となるとの判断基準が確立していた。)ものと解する。

別件勾留当初は、その理由、必要性があったとしても、その後、その理由、必要性が消滅した場合(適法に身柄拘束(逮捕)するに足りるだけの証拠資料の収集し得ていない重大な本件事件について被疑者を取り調べ、自白を得る目的で、たまたま証拠資料を収集し得た軽い別件に藉口して被疑者を逮捕勾留し(別件については勾留の理由、必要性が一応認められる場合)、結果的には別件を利用して本件で逮捕勾留して取調べを行ったのと同様の実を挙げようとする場合において、別件の取調べが一応終了した場合は、これに該当する場合が多いであろう。)

別件事件の勾留を利用して、いまだ逮捕状、勾留状の各請求をなし得るだけの資料の揃っていない余罪について、具体的状況のもとにおいて、実質的に強制処分であるとの評価を受ける取調べを続行した場合

右いずれの場合も令状主義、事件単位の原則から当然に導き出される解釈であるし、刑訴法一九八条一項の文理解釈上も自然なものだからである(右いずれの場合も、余罪に関して裁判所の司法審査を得ておらず、これに関して実質的に強制処分であるとの評価を受けるような取調べを行うことを認めるのは、令状主義、事件単位の原則に明確に反するものである。前記1、2参照。)。

③ ちなみに、警察庁資料として、警察研究三五巻二号(昭和三九年二月二〇日発行)には、「別件逮捕は、社会通念上必要止むを得ないと認められる場合にのみ行われるべきであり、甲罪(別件)について逮捕する場合に乙罪(本件)についての容疑も判明しているが、乙罪(本件)については逮捕状を請求するだけの資料、要件がない場合において、甲罪(別件)に比して乙罪(本件)が犯情、罪質とも著しく重い場合は、甲罪(別件)について身柄拘束の必要がなくなった場合には乙罪(本件)による逮捕に切り替える。」旨の記載があり、警視庁調査統計官作成の警察研究三五巻一号(昭和五九年一月一〇日発行)掲記の論文にも同旨(甲罪(別件)についての取調べが進み拘禁の必要がなくなった場合には、たとえ甲罪(別件)について拘禁期間の満了までに時間の余裕が残っているとしても、その後拘禁を継続して専ら乙罪(本件)についての取調べを行うことは違法であり許されない)の記載がなされており、本件捜査当時の鹿児島県警察本部刑事部捜査一課長であった家村も、当時、狭山事件等の影響もあり別件逮捕について全国捜査課長会議等でやかましくいわれていた旨供述しているものである(証人家村)。

④ なお、控訴人らも別件逮捕勾留中の余罪取調べは任意になされる場合に認められる旨(原審最終準備書面四二頁。当審第一準備書面三四頁。)主張していることから、実質的に強制処分との評価を受ける取調べは許されない(右②の場合)ことを前提としているものと解される。

⑤ 前記3のaないしh(原判決八七枚目裏から八八枚目表)の具体的判断要素は、本件当時明確に意識、表現されていなかったとしても、本件当時の基本的判断基準を具体化したものであると解される。よって、以下、右説示の判断基準に従って、検討する。」

三  同八九枚目裏七、八行目の「勾留更新事由も存在しない」を「勾留更新事由の存在も問題な」に改める。

四  同九〇枚目表三、四行目の「なくなっていた」を「殆ど消滅していた」に改める。

五  同九〇枚目表七行目の「第一次逮捕」から同裏三行目の「ものである。」を次に改める。

「第一次逮捕後のA1に対する本件取調べは、鹿屋署への引致当日である四月一三日から始められ、四月一三日から二六日までの間の一四日間は休みなく、その後も五月中は一五日間、六月中は二五日間行われ、取調べの多くは午前中から午後一〇時前後まで行われ、四月中は約一〇日間にわたり警察署長官舎及び警察官宿舎の畳の部屋に座らせて、片手錠を施したまま行われたものである。」

六  同九一枚目裏一一行の「一五日」を「一六日」に改める。

七  同九二枚目裏六行目の「血痕」を「人血」に改める。

八  同九二枚目裏八行目の「微量」の前に「人血であるが」を加える。

九  同九四枚目裏六、七行目の「平均して朝から晩一〇時ころまで」を「多くは午前中から午後一〇時前後まで」に改める。

一〇  同九四枚目裏九行目の「官舎」の次に「等」を加える。

一一  同九六枚目表三行目の冒頭に「結果として」を加える。

一二  同九六枚目表六行目の「ものであり、」の次に「結果として」を加える。

一三  同九六枚目表六行目の次に改行のうえ次を加える。

「なお、控訴人らは、いわゆる違法性の承継は、先行の行政処分の瑕疵を後行の行政処分の効力に関する訴訟において主張することができるか否かの観点からなされる行政処分の公定力に関する議論であり、公務員の行為に関する国家賠償責任の存否を判断する場合に適用されるものではない旨主張する。しかし、ここでいう違法性の承継とは先行する身柄拘束行為が違法である場合、その違法要素を排除せずに継続されたその後の身柄拘束行為について、先行する違法行為との間で相当因果関係を認めるという趣旨のものである(行為の違法性ではなく、結果の違法性を意味する。)から、控訴人らの右主張は採用できない。」

一四  同九六枚目表七行目から同裏九行目までを削除する。

一五  同九六枚目裏一〇行目の「④」を「③」に改める。

一六  同九七枚目裏四行目末尾に次を加える。

「公訴の提起が検察官の広汎な裁量にかかるものであること、或いは裁判所による勾留取消しの裁判の可能性が存在したこと等の事由は、そのことのみをもっては未だ右相当因果関係を中断せしめるに足りないというべきである。」

一七  同九七枚目裏五行目から同九九枚目裏四行目までを次に改める。

「四 捜査における検察官の行為の違法性について

1  被控訴人らの主張

被控訴人らは、検察官は、本件当時、本件余罪取調べの具体的状況を十分把握しており、警察における余罪取調べが令状主義の要請を逸脱し、無令状で身柄を拘束して取調べを行っているのと同様の状態に至っていることを当然認識し得たとし、本件において、検察官が、

① 別件起訴後の勾留の執行者の機関として被告人の身柄拘束が裁判の維持という法の目的を超えて濫用されることのないように管理すべき立場にあり、第一次勾留中に警察官が違法な余罪取調べをしていたのを認識した場合には、警察官の右取調べを中止させる法的義務が存在したのに、これを中止させなかったこと

② 第一次勾留の取消請求をしなかったこと

③ 第一次勾留中に検察官自身が殺人事件の取調べを行ったこと

④ 第二次逮捕状の請求に許可を与えたこと

⑤ 第二次勾留請求をしたこと

⑥ 第二次勾留の取消請求をしなかったこと

が、違法である旨主張する。

2  控訴人らの主張

これに対し、控訴人らは、被控訴人らの右主張は失当であるとして、以下のとおり主張する。

検察官が「勾留の執行者」の地位にあったとしても、「被告人の身柄拘束が裁判の維持という法の目的を超えて濫用されることのないように管理すべき立場」にあったものとはいえないから、被控訴人らの主張は、その前提において失当である。

現行刑訴法は、検察官に公訴権の独占を認め公訴官として適正な刑事事件の処理を期待する一方で、警察に第一次捜査権を認め(一八九条、一九二条、一九三条)、捜査について、警察官は、自らの権限と責任においてなすべきであるとしている。したがって、警察官の捜査の適正は、第一次的には警察の責任において確保されるべきであって、検察官には、警察の捜査が明らかに不適正であると判断し得る事実を認識したときに限り、それを正すことが期待されている。

本件において、検察官(G検事)は、昭和四四年六月中旬ころ、別件詐欺事件の記録を検討し、第一次逮捕勾留事実、公訴事実及び公判経過を把握し、同月二〇日過ぎころ、警察から、本件殺人事件の捜査及び証拠収集の概要の説明を受け、逮捕状及び勾留状の請求が困難であると認識し、本件殺人事件について同年五月二四日から警察の取調べが行われていることを認識したとしても、それ以上に、警察の余罪取調べの具体的状況を認識していたわけではないのであって、かかる状況のもとで、検察官に、警察の余罪取調べを違法と判断し、これを中止させる義務が発生したとは解し得ない。

また、起訴後の勾留は、当該被告人についての公判維持の観点から裁判官若しくは裁判所が身柄の拘束を継続するものであることから、いまだ別件について逮捕・勾留し得るだけの資料がそろっていない段階では、検察官の側で裁判官又は裁判所による被告人の身柄の拘束に対して口をはさむ余地はない。また、このような時期においても捜査機関において捜査を実施すべき場合が存在するから、起訴後の勾留において、捜査機関が被告人の余罪について取り調べることは一般的に可能というべきである(刑訴法一九八条)。

そして、検察官(G検事)は、いまだA1を本件殺人事件につき逮捕・勾留し得るだけの資料がそろっていない段階である昭和四四年六月二〇日過ぎころの時点において、警察に対して捜査を督促したところ、同年七月二日の時点で、警察において、A1の逮捕状を取得し得るだけの資料を入手し、同月四日には、同人を通常逮捕したのであるから、その手続に何ら違法はないというべきである。

3  当裁判所の判断

(一) まず、本件捜査における警察官と検察官の関係、本件捜査に関する検察官の関与の状況について検討する。

前記認定事実、証拠及び弁論の全趣旨によれば、次の事実が認められる。

(1) 昭和四四年一月一八日のB1、B2の死体発見直後に、鹿屋署は、県警本部の応援を求めて、特捜本部を設置し、本件殺人事件の捜査にあたっていた。捜査にあたっては定期的に捜査会議が開かれたが、これには警察幹部によるものと、県警捜査員全員によるものがあり、幹部による会議では、収集した情報の分析、今後の捜査方針等について協議していた。そして、特捜本部は、捜査の過程で、A1に本件殺人事件について嫌疑を持つに至ったが、A1の行動の聞き込み捜査のなかで、同人の詐欺等の事件を把握した(証人大重、同家村)。

(2) 警察官は、逮捕状の請求権限を有しているが、実務上、重大事件については、警察官は、逮捕状の請求をする前に検察官に相談し、その許可を得てから裁判所に請求するという慣行があった(証人G、甲二八)。そこで、特捜本部は、詐欺等の事件についての逮捕状請求前に、鹿児島地方検察庁検察官との間で、殺人事件の捜査に関連して、打合わせを行った(証人大重)。

(3) その結果、鹿屋署刑事課長大重は、四月九日、詐欺、銃刀法違反の被疑事実で、鹿屋簡易裁判所に逮捕状の発付を請求し、この発付を得た(乙四二、四三号証)。そして、特捜本部は、四月一二日、A1を逮捕し、その後、右事件を鹿児島地方検察庁鹿屋支部に送致した。

(4) 鹿児島地方検察庁鹿屋支部検察官事務取扱副検事H(以下「H副検事」という。)は、昭和四四年四月一五日、A1を被疑者として、詐欺、準詐欺、銃刀法違反の被疑事実で鹿屋簡易裁判所に勾留請求し、勾留状の発付を得た(乙四一一、四一二号証)。

(5) H副検事は、同被疑事実(第一次勾留事実)について、A1の取調べを行った後、同月二四日に右事実のうち三つの事実でA1を起訴し、更に、同年五月一六日に詐欺、銃刀法違反の事実で追起訴した。同副検事は、五月二三日の第一回、六月一三日の第二回公判期日に立会した。

(6) H副検事は、警察官から殺人の件で相談を受けたことがあり、警察官が殺人でも被疑者を取調べていることは知っていた(証人大重)。また、同副検事は、六月一二日、被控訴人A2を殺人事件関係のA1のアリバイやB夫婦との関係の件で取り調べ、供述調書を作成した(乙一八三号証)。

(7) 他方、鹿児島地方検察庁G検事は、六月中旬ころ、同庁次席検事から、A1が鹿屋の殺人事件の容疑者として鹿屋署で取調べを受けているから記録を検討するよう指示を受けた。同検事は、昭和四二年四月に任官し、昭和四三年四月に鹿児島地方検察庁に赴任した当時任官三年目の若手検事であり、本件殺人事件が担当した最初の重大事件であった(証人G)。

(8) G検事は、詐欺の事件記録を検討し、A1が詐欺事件で逮捕、勾留されていることを知り、大重刑事課長、F警部を呼んで、殺人事件についての説明を聞いた。その後、G検事は、六月中旬、A1のアリバイ関係で、被控訴人A2を取り調べた(証人G)。

なお、四月一二日のA1逮捕後、五月末までに別件(詐欺等)関係についての警察官に対する供述調書は五通、殺人関係は一一通作成されていたが、警察官が、検察官に当初送付した殺人関係のA1の供述調書は、六月一二日付けが最初であった(証人F、同家村、乙二二三号証)。

(9) 六月二四日ころ、G検事は、警察官から殺人事件で令状請求したいとの相談を受けたが、少し無理ではないかと話した。そのころ、同検事は、警察官からA1に対する殺人についての取調べが何日間、毎日何時間づつ行われているかについて報告を受けた。そこで、同検事は、警察官に詐欺事件の未決勾留を利用して殺人事件で本格的に取り調べるのはフェアではない旨のアドバイスをした(証人G)。

(10) G検事は、当時、狭山事件などを通じて、別件逮捕が違法となる場合があることを認識していた(なお、G検事は、起訴価値のない事件で逮捕し、専ら本件の取調べを行うことが、令状主義に反し、違法となることを認識していた旨法廷では供述する(証人G))。

(11) その後、A1は、七月二日警察官の取調べに対しB2殺害を自白したので、特捜本部は、G検事に対し、A1につき殺人罪による逮捕状請求の許可を求めた。同検事は、同月三日、鹿児島地方検察庁鹿屋支部において、自らA1を取り調べて自白内容を確認し、特捜本部に対し、A1につきB2殺害の逮捕状請求に許可を与えた(証人G)。

(12) 特捜本部(大重刑事課長)は、七月四日、A1につき、B2殺害容疑で、鹿屋簡易裁判所に対し、逮捕状の請求をなし、同日その発付を受けA1を逮捕した。その後、特捜本部は、事件を鹿児島地方検察庁に送致し、同庁検察官は、同月六日、鹿児島地方裁判所に対し、A1につき同事実で勾留請求し、勾留状の発付を得たうえ、同月七日勾留の執行をした。

(13) 検察官は、第一次、第二次勾留を通じ、その取消請求をしなかった。

(二) 以上の事実を前提として、以下、検察官の行為の違法性について検討する。

(1) まず、警察官の捜査に関する検察官の役割及びその法的義務について検討する。

刑訴法は、司法警察職員(以下「警察官」という。)と検察官をそれぞれ独立の捜査機関としたうえ、警察官の捜査権を第一次的、本来的なもの、検察官の捜査権を第二次的、補充的なものと定めるとともに(一八九条二項、一九一条一項)、この両者の関係を原則として協力関係と規定した(一九二条)。しかし、本来、捜査は、国家刑罰権の実現を目的とする刑事手続の一部を成し、捜査の結果得られたものは、検察官の専権に属する公訴権(二四七条)の実行の資料となる。また、検察官は、厳重な資格要件の下に任命され、高度の法律的素養を有するとともに、強い身分保障を与えられており、捜査に関して、警察官の捜査を補充、補正することを求められている。そこで、現行法は、警察官の行う捜査につき、一定の限度で検察官の介入を認めることとし、一方で、警察官の身柄事件送致に四八時間の制限を設け(二〇三条一項、二一一条、二一六条)、被疑者の勾留を請求する権限を検察官にのみ認めて(二〇四条ないし二〇六条、二一一条、二一六条)、検察官が警察官の捜査を事実上規制することを可能にするとともに、一九三条により、検察官の警察官に対する一般的指示権(一項)、一般的指揮権(二項)及び具体的指揮権(三項)の三つの権限と、これらに対する警察官の服従義務(四項)を定め、これによって、捜査の統一・適正・充実を図り、公訴の実行の十全を期せんとしている(藤永幸治他編「大コンメンタール刑訴法」三巻一〇四頁以下、司法研修所検察教官室編「検察講義案」三五頁以下参照)。

このような捜査における警察官と検察官の関係、役割に照らすと、警察官の捜査の適正は、第一次的には警察の責任において確保されるべきであるといえるものの、検察官には、警察の捜査が不適正であると判断し得る場合、それを正すべき法的義務が発生する場合があると解するのが相当である。

(2) そこで、本件において、検察官にかかる法的義務違反があったか否かについて検討する。

前記(原判決九四枚目表一行目以下)認定説示のとおり、別件詐欺等事件の第一回公判期日の翌日である五月二四日以降の本件警察官の余罪取調べ、身柄拘束は違法である。

そこで、本件において、検察官が右違法性を認識していたか否かが問題になる。

前記認定事実によれば、

① 警察官には、逮捕状の請求権限があるが、実務上、重大事件については、警察官が逮捕状の請求をする前に検察官に相談し、その許可を得てから裁判所に請求するという慣行があり、特捜本部は、詐欺等の事件についての逮捕状請求前に、検察官(この検察官が具体的には誰であるのか証拠上は明らかでない。大重は、H副検事であった旨の供述をなすが、本件のような重大事件で副検事のみに相談したというのは不自然であり、正検事に相談したものと推認される。)との間で、殺人事件の捜査に関連して、打合わせを行っており、検察官は、第一次逮捕勾留が主として殺人事件の捜査のためになされることを認識していたはずであること

② 特捜本部は、四月一二日、A1を逮捕し、その後、右事件を鹿児島地方検察庁鹿屋支部に送致し、鹿児島地方検察庁鹿屋支部検察官は、昭和四四年四月一五日、A1に対し詐欺、準詐欺、銃刀法違反の被疑事実で鹿屋簡易裁判所に勾留請求し、勾留状の発付を得、同被疑事実(第一次勾留事実)で、A1の取調べを行った後、同月二四日右事実のうち三つの事実でA1を起訴し、更に、同年五月一六日に詐欺、銃刀法違反の事実で追起訴し、五月二三日の第一回公判期日に立会し、公判の経緯も十分理解していたこと

③ 検察官は、警察官から本件殺人の件で相談を受けたことがあり、警察官が殺人でもA1を取り調べていることは知っていたこと(鹿児島地方警察庁次席検事は、六月中旬にG検事に対し、A1が鹿屋の殺人事件の容疑者として鹿屋署で警察官から取調べを受けているから記録を検討するよう指示しているのであるから、これ以前の特捜本部のA1に対する取調べ状況についても認識していたものと推認される。現に、G検事も右次席検事からの指示の直後に警察官からA1に対する殺人での取調べ状況の報告を受けている(殺人についての取調べが何日間、毎日何時間ずつなされてきたのかという報告を受けたことをG自身認めている。乙三〇一号証)。)

が認められ、以上の諸点を併せ考えると、検察官は、本件第一次逮捕、勾留の経緯と本件余罪取調べの具体的状況(ほぼ連日殺人事件でA1を取り調べていたこと等)をおおむね把握していたものと認められる(なお、本件に関係する検察官は、次席検事、G検事、H副検事などであり、その役割や本件警察官の捜査についての認識程度には差異があることも考えられるが、本件のような警察官の捜査に関係する問題については、個々の検察官の行為、認識ないし判断に瑕疵があれば、右意思決定に関与した具体的特定人ではない一体としての検察官の判断に瑕疵があったとされることになる。このことは警察官のA1に対する取調べの状況についても同様で、控訴人ら被控訴人ら双方ともこれを前提にしているものとみられる。)。

そして、

④ 特捜本部は、いまだ逮捕状及び勾留状の各請求をなし得るだけの資料の揃っていない重大事犯であるB夫婦の殺人事件についてA1を取り調べる目的で、殺人事件の捜査中、資料の揃ってきた殺人事件と関連性の全くない軽い事犯である別件詐欺等の事実について逮捕状及び勾留状の各請求をなし、その発付を受けたこと

⑤ 別件逮捕・勾留はその理由及び必要性が一応認められるとしても、四月二四日の起訴以降は別件詐欺等の公判審理のための勾留であり、勾留の理由及び必要性が乏しい事案であるのに、その勾留を利用し、A1が別件逮捕で引致された直後から本件の取調べに入り、別件の起訴前から本件の殺人事件の取調べを主とし別件を従とする取調べを行ない、別件起訴後から五月一〇日ころまでは別件と同種の余罪の取調べを若干なしたものの、殆どを本件の取調べに当て、同月中旬以降は全て本件の取調べを行っていたこと

⑥ その取調べ状況も、長時間、且つ、長期間にわたる連続的なものであったこと

⑦ その間の本件殺人事件に関する客観的資料の収集状況は、別件逮捕から一ケ月経過してもいまだ本件の逮捕及び勾留の請求をなし得る証拠の収集がなかったこと

⑧ 検察官は、別件公判の進行状況も十分認識しており、別件第一回公判後は、別件勾留の必要性はほぼ消滅していたことは認識していたはずであること

を総合すると、検察官は、別件第一回公判終了時点において、警察が余罪について実質的に強制処分であるとの評価を受ける取調べを行っていることを認識していたものと認められる。

以上によれば、検察官は、右警察官の捜査(余罪取調べ)が不適正であると認識していたと認められる。

(3) ところで、前記のような警察と検察官両者の関係に照らすと、検察官は、警察の捜査が不適正であると判断した場合においても、すべて当然にそれを正すべき法的(作為)義務が発生するものとは解されない。

当裁判所は、検察官が、警察の捜査が不適正と判断した場合において、その不適正を放置すると重大な法益侵害が発生するおそれが存在し、検察官の行為によりこれを正す(阻止)ことが可能である場合に限り、右不適正を正すべき作為義務が発生するものと解する。

そこで、この点について検討するに、前記のとおり、警察は、余罪について実質的に強制処分であるとの評価を受ける取調べを行っており、これは憲法、刑訴法の保障する令状主義に反する違法なもので、身柄拘束自体も違法なものと認められ、右結果は重大な法益侵害に該当するものであること、検察官は、本件において、第一次逮捕以前から、第一次逮捕が主としてB夫婦殺害事件(余罪)について取り調べる目的でなされることも認識していたものと認められること、警察の右取調べ、身柄拘束は、最終的には、殺人事件の公訴提起、公判維持のための捜査としてなされるもので、検察官の職務と密接に関連しているものであることなどを併せ考えると、本件において、検察官が警察の右違法な余罪取調べを阻止することが可能であれば、検察官は、これを正すべき作為義務を有するものと解される。

(4) そこで、検察官が警察の右違法な余罪取調べを阻止することが可能であったか否かについて検討する。

本件違法な余罪取調べを阻止する方法としては、取調べ自体を中止させること及びA1の身柄拘束(勾留)を解消(取消し)することが想定し得る。

現行法制度上警察官の行っている被疑者の取調べを検察官が直接強制的に中止させることは困難である。しかし、前記検察官と警察官の関係、役割に照らすと、これを中止するよう指示することは可能なものと解される(これを刑訴法一九三条三項の具体的指揮として行うかどうかは別として。)。

また、前記のとおり、被疑者の勾留請求等の権限を検察官のみに認め、これを通じて検察官が警察官の捜査を事実上規制することを可能ならしめていることを勘案すると、別件勾留中の違法な本件取調べを阻止するために勾留取消請求をなすことも可能であったと認められる(刑訴法八七条。捜査官が勾留中の被疑者、被告人に対して違法な取調べを行った場合の法律上の救済方法として、その結果得られた自白の証拠能力の否定、民事訴訟による損害賠償などいわば事後的な手段があるが、違法な取調べがあればこれを理由として(勾留の必要性の消滅という場合が多いであろう。)、勾留を取り消すというのが早期救済方法として効果のあるものであり、そのためには、捜査の実態把握が可能で勾留取消請求権を有する検察官には大きな期待が寄せられるものである。)。

右警察に対する指示及び勾留取消請求自体は本来検察官の裁量に属する側面も有するが、前記事実に照らすと、本件においては、裁量権の不行使が著しく合理性を欠くものであると解される。

(5) 以上によれば、本件において、検察官は、警察官の捜査の不適正を正すため、警察官に違法な余罪取調べを中止するよう指示し、これに従わない場合には第一次勾留の取消請求をすべき義務があったと解するのが相当である(前記のとおり、違法な余罪取調べの結果、身柄拘束自体も違法になっていたと認められるから、違法な身柄拘束を解消するという観点からも、第一次勾留取消請求をなすべき義務があったとも解し得る。)。

ところが、本件において、検察官はこのような行為にはでていないから、その余の点について判断するまでもなく、検察官の行為(不作為)は違法であるといわざるを得ない(なお、六月二四日ころ、G検事が、警察官に対し、詐欺事件の未決勾留を利用して殺人事件で本格的に取り調べるのはフェアではない旨のアドバイスをしたのは、検察官の良識を示すもので、本件捜査の中で一服の清涼剤ともいえるところではあるが、これ自体が右違法性の判断に影響を与えるものではない。若手検察官として、特捜本部まで設置され、ベテラン警察官多数が捜査にあたっている本件のような重大事件において、警察官幹部の指揮のもとに行われている捜査を補正することは心理的に困難であることは十分予測できる。しかし、検察官独立と同一体の原則の妙味を生かし、公益の代表者として公正な捜査を確保すべき義務自体は否定できない。)。

また、これに関連し、控訴人らは、仮に、検察官に警察官の捜査上の不適正を是正しなかった違法があるとしても、一般に、ある事項に関する法律解釈につき異なる見解が対立し、実務上の取扱いも分かれていて、いずれについても相当の根拠が認められる場合に、公務員がその一方の見解を正当と解し、これにより公務を執行したときには、後にその執行が違法と判断されたからといって、直ちに公務員に過失があったとすることは相当ではなく、本件において、検察官が警察官の余罪取調べが違法となることはないとの見解をとったとしても、それには相当の根拠があり、過失はない旨主張する。

しかし、前記のとおり、当裁判所は、昭和四四年当時においても、本件のように、別件事件の勾留を利用して、いまだ逮捕状、勾留状の各請求をなし得るだけの資料の揃っていない余罪について、具体的状況のもとにおいて、実質的に強制処分であるとの評価を受ける取調べを続行した場合には、取調べは違法となるものはもとより、その身柄拘束も違法となると解すべきで、仮に検察官がこの見解を採らなかったとすればそれ自体過失にあたるものと解する。よって、控訴人らのこの点に関する主張は採用できない。

(三)  以上によれば、検察官において、おそくとも別件第一回公判期日終了の段階で、警察官に違法な余罪取調べを中止するよう指示し、これに従わない場合には第一次勾留の取消請求をなすべきであって、このような措置をとらず、警察官の違法な取調べを放置していたことは違法であると認められる。

よって、被控訴人らのその余の捜査における検察官の行為の違法性に関する主張(前記1の③ないし⑥)について判断するまでもなく、検察官の行為(不作為)は違法である。

そして、右検察官の不作為の結果、警察は違法な身柄拘束状態を利用して違法な取調べ、調書の作成等を継続し得たもので、これらが、その後の検察官の第二次勾留請求、公訴提起、裁判所の勾留、勾留更新等に主要な影響を与えたものと認められるから、右検察官の違法行為(不作為)とその後の身柄拘束との間には、前記警察官についての判示同様相当因果関係があるものと認められる(警察官が右指示に従わず、裁判所が検察官の勾留取消請求を認めない可能性の存在(ただし、検察官が本件のような経過で警察官の違法な余罪取調べを阻止し、違法な身柄拘束を解消するために勾留取消請求をした場合に、裁判所が勾留の取消しをしないということは一般に想定し難いものである。)は因果関係を中断せしめるものではない。)。」

第五  捜査過程での捜査官の違法行為について

右の点についての当裁判所の判断は、次のとおり付加、訂正及び削除するほかは、原判決理由「第五」と同じであるから、これを引用する。

一  原判決九九枚目裏八行目の「一連の身柄拘束状態」を「第四」に改める。

二  同九九枚目裏九行目の「判断し」から同一〇行目の「となる。」までを「判断したとおりである」に改める。

三  同一〇一枚目裏二行目及び七行目の各「殺害」を「創傷」に改める。

四  同一〇一枚目裏四行目の「文章まで全く同一」を「文章がほぼ同一」に改める。

五  同一〇二枚目表九行目の「勇男」を「勇男ら」に改める。

六  同一〇二枚目表末行の「から二日過ぎた七月四日」を「の翌日の七月三日」に改める。

七  同一〇二枚目裏二行目の「二〇分」を削除する。

八  同一〇二枚目裏八行目の「一〇一」の次に「、一〇二」を加える。

第六  公訴提起の違法性

前記のとおり、当裁判所は、検察官には、おそくとも別件第一回公判期日終了の段階で、警察官に違法な余罪取調べを中止するよう指示し、これに従わない場合には第一次勾留の取消請求をなすべきであって、このような措置をとらず、警察官の違法な取調べを放置していたことは違法であり、その後の身柄拘束(A1が保釈されるまでの間の)は、これと相当因果関係を有するものと判断したのであるから、右以降の検察官の行為である本件公訴提起について違法性判断の必要はない(被控訴人らは、本件公訴提起自体を理由とする損害の主張はしていないものである。)。

第七  裁判の違法性

右の点についての当裁判所の判断は、次のとおり削除するほかは、原判決理由「第七」と同じであるから、これを引用する。

一  原判決一三九枚目表二行目の「、当該裁判所」から同四行目の「場合」までを削除する。

第八  責任原因

右の点についての当裁判所の判断は、次のとおり訂正及び削除するほかは、原判決理由「第八」と同じであるから、これを引用する。

一  原判決一三九枚目裏四行目の「警察官」から同七行目の「推認される。」までを「警察官及び検察官の違法行為(これについて、警察官及び検察官には少なくとも過失がある。)とA1の昭和四四年五月二四日から昭和五五年一二月五日までの身柄拘束との間には相当因果関係があると認められる。」に改める。

二  同一四〇枚目表一行目冒頭の「が」を削除する。

第九  損害

右の点についての当裁判所の判断は、次のとおり付加及び訂正するほかは、原判決理由「第九」と同じであるから、これを引用する。

一  原判決一四一枚目表二行目から同裏一行目の「みてよい。」までを次に改める。

「(一) 被控訴人らは、本件違法な身柄拘束及び同拘束下での取調べにより、A1は、心臓機能障害を患い、そのため、重度の心臓機能障害(昭和五八年から身体障害者等級三級)の後遺症が残ったもので、A1の右身体障害は、本件違法な身柄拘束及び同拘束下での取調べによって生じたものである旨主張する。

これに対し、控訴人らは、仮に本件保釈後、A1に心臓機能障害があったとしても、本件逮捕勾留、取調べ及びその後の身柄拘束との間に因果関係はない旨主張する。

そこで、以下、この点について、検討する。

(二) 争いのない事実、前記認定の事実、証拠及び弁論の全趣旨によれば、次の事実が認められる。

(1)  A1は、昭和六年三月一〇日に出生し、高等小学校卒業後は、昭和四四年四月一二日に逮捕されるまで、農業の傍ら竹切りをしたり、運転手をしていたほか、農閑期には出稼ぎに出て働いていた。そして、昭和四三年九月に、交通事故による負傷のため春別府医院に入院したこと以外病院に入院したことはなく、この入院の際も、これに先立つ昭和四二年六月に受けた健康診断においても、心音などの異常を指摘されたことはなかった(A1、被控訴人A2(原、当審)、乙二五一号証。昭和四三年九月三日から同月一〇日までの間、A1が交通事故で入院した際、入院診療を担当した医師春別府稔の証人尋問調書(乙二五一号証)によれば、「同年九月四日血圧は一二〇〜八〇、心音は正常」「(九月三日)一一〇〜八〇で正常」(八六丁)というものであった。)。

(2)  A1は、昭和四四年四月一二日、逮捕され、同月一三日以降鹿屋署に留置されていたが、A1には右第一次逮捕勾留後も同事件の第一回公判期日(五月二三日)時点まで心臓疾患の存在を伺わせる客観的症状あるいは医師による診断は存在しなかった。

(3)  A1は、鹿屋署に勾留中の昭和四四年六月二二日に37.1度の発熱を有したことがあった後、七月に入ってから(鹿児島署に留置後)は高血圧のため医師から投薬を受け、七月下旬には足が腫れたため医者の診断を受けたことがあった(乙二二六、四七五号証)。

(4)  A1は、昭和四四年八月二六日に鹿児島刑務所に移監され、同月二七日、同刑務所医師の診察を受けた。同刑務所の診察票(乙五〇二号証の一、同四九七号証)には、昭和四四年八月二七日付で、病名「虚血性心臓病」、「心不全」、同日より「ペルサンチン」、「コントール」等の投薬を指示した旨の記載がある。なお、ペルサンチンは狭心症を対象疾患とする薬剤であった(甲六九号証の三)。

(5)  A1は、その後も鹿児島刑務所に勾留されていたが、原一審判決に対する控訴後の昭和五一年七月九日に宮崎刑務所に移監され、同月一二日には同刑務所で転入健康診断を受けた。同刑務所の診療録には、昭和五一年七月一三日付で、「心臓雑音(+)」、「心臓弁膜症」、同五三年五月一八日付で「大動脈弁狭窄症」などの記載がある(乙四九六号証)。

(6)  鹿児島刑務所勾留中のA1の診療録は同刑務所で保管されていたが、昭和六〇年一二月一六日に同刑務所の火災により焼失した。なお、診療票のみは宮崎刑務所に身柄とともに移送されていた(乙四九五号証)。

(7)  A1は、上告審が係属中の昭和五五年一二月五日に保釈されたが、その直後の同月二六日から坂元千之医院において心臓弁膜症、心不全、心肥大の病名で、昭和五八年六月一三日から石踊病院において心臓弁膜症の病名で、その後、いずれも前田内科において、昭和五八年七月一二日から左室肥大症兼冠不全の病名で、昭和六一年九月一日から心室性期外収縮の病名で、昭和六三年七月八日から大動脈弁狭窄症の病名で、平成元年二月六日から慢性心不全の病名で、平成四年五月六日から狭心症の病名で、同年一〇月三〇日から鬱血性心不全の病名で診療を受けた(甲六一号証の一)。

(8)  また、A1は、その間の昭和五八年八月八日に、左室肥大症兼冠不全症の障害名で身体障害者等級三級の認定を受けた(甲四二号証)。

(9)  A1は、平成七年三月二一日、大動脈弁狭窄症による急性心不全により死亡した(甲七〇号証)。

(三) そこで、右事実を前提にして、まず、A1の疾患について検討する。

右事実によれば、A1は、昭和四四年八月二七日時点で、心臓疾患を有しており、心臓疾患は、その後、A1が死亡するまで存在したものと認められる。

なお、心臓疾患の内容について、A1は、いくつかの医療機関において、昭和四四年八月時点で虚血性心臓病、心不全、昭和五一年七月時点で心臓弁膜症、昭和五三年五月時点で大動脈弁狭窄症、保釈された昭和五五年一二月以降において、心臓弁膜症、心不全、心肥大、左室肥大症兼冠不全、心室性期外収縮、慢性心不全、狭心症、鬱血性心不全など多くの病名で診療を受けている。そこで、A1が罹患した心臓疾患が何であったのか問題になる。

A1は、既に死亡しており、A1の病状について鑑定等もなされていないことから、厳密に認定することは困難である。

しかし、虚血性心臓病は、冠状動脈系の病的過程に伴って起こる心筋への血流減少ないし停止という事態によって惹起される心機能の疾患、心不全は、心臓自体の障害により全身の臓器組織へ必要な量と質の血流を循環し得なくなった状態、心臓弁膜症は、心室の弁が肥厚、癒着、石灰沈着、弁辺縁の萎縮によって機能が持続的に障害された状態をいい、いずれも心臓疾患の症状や広義の病名であるのに対し、大動脈弁狭窄症は、心臓弁膜症の一形態で、弁口面積の狭小化により大動脈弁の収縮期開口が不十分となる疾患であり(乙四八三号証)、前三者より具体化した病名であること、すなわち、昭和五三年五月のA1の大動脈弁狭窄症診断以前の虚血性心臓病、心不全等の診断は、大動脈弁狭窄症と矛盾するものではなく、前者の病状及び疾患がより具体化されたものとみられること、大動脈弁狭窄症の診断以降に別の医療機関で診断を受けた際の診断名である心肥大は、心筋線維の肥大を意味し、弁膜または循環障害のための代償機序として心仕事量が増加するときに発現するもの、冠不全は、心筋酸素の需要と供給の不均衡にもとづいて発現する心筋の酸素欠乏状態を総称するもの、狭心症は、心臓部の疼痛発作を主徴とする心筋虚血(酸素欠乏)、心室性期外収縮は、心室内の自動中枢から発生した期外収縮(正常の規則正しい拍動のほかに、ある拍動が入り込むこと)であり、右心肥大、冠不全、狭心症は、いずれも心臓弁膜症の一形態である大動脈弁狭窄症において現れる症状及び疾患であり(乙四八四号証二七六頁、二九八頁及び三三四頁)、右心室性期外収縮は、不整脈の一形態で、大動脈弁狭窄症を含む心臓疾患において認められる症状であること(乙四八三号証九七九頁、四八四号証三四二頁)などを併せ考えると、これらの諸症状は、大動脈弁狭窄症において、その代償作用が機能しなくなって発現した症状及び疾患であり、これらは、いずれも大動脈弁狭窄症に起因したもので、これが基本疾患であると推認される。

なお、A1は、昭和五九年六月一日から平成四年一二月まで低血圧で治療を受けたことがある(甲六一号証の二)が、右時期における低血圧の症状は、A1が罹患していた心臓疾患によって心機能が低下して心拍出量が減少したために、低血圧の症状が発現したものと考えられる(乙四八四号証三三五頁、四八九号証、四九〇号証)。

(四) そこで、大動脈弁狭窄症と本件違法な身柄拘束ないし取調べとの間に相当因果関係があるか否かについて検討する。

前記事実によれば、次の事実が認定できる。

(1)  A1には、第一次逮捕(昭和四四年四月一二日)前に心臓疾患が発現してはいなかったこと

控訴人らは、A1が第一次逮捕前に心臓病で投薬を受けていた旨主張する。そして、宮崎刑務所の診療録(乙四九六号証)、同健康診査簿(乙四九八号証)中には、「三七歳頃より、心臓が悪く投薬を受けていた」旨の記載があり、A1が三七歳であったのは、昭和四三年三月一〇日から昭和四四年三月九日までであったから第一次逮捕(同年四月一二日)以前ということになる。

しかし、右の「三七歳頃より心臓が悪く投薬を受けていた」という点は、記載内容自体伝聞であるうえ、それが医師による記載かどうかさえ明らかではなく、その表記も「頃」という時期的に曖昧な表現をしていること、A1が三七歳であったのは、右のとおり昭和四三年三月一〇日から昭和四四年三月九日までの間であるが、前記のとおり、その間の昭和四三年九月に交通事故で入院した際の診療でも心臓疾患を指摘された形跡はなく、昭和四四年一月から四月までの間に作成されたA1に関わる数多くの情報を記載した捜査報告書(乙二〇、二八、三九三ないし三九六号証など)や関係者の供述調書群(乙二一、二四、二五、三九七号証など)のいずれも、A1の心臓疾患及び投薬などの事実に触れておらず、これを窺わせるような記載もないこと、他方、A1が鹿児島刑務所の医師により心臓疾患を認められた昭和四四年八月二七日時点でA1は三八歳であり、A1あるいは刑務所の前記診療録等の記載担当者がこれを三七歳頃と誤算して申告あるいは記載することは十分想定し得ること、A1、被控訴人A2いずれも第一次逮捕以前において心臓疾患があったことは否定していることなどを併せ考えると、A1が三七歳時点で心臓が悪く投薬を受けていたと認めることはできず、他にそのころ既にA1の心臓疾患が発現していたと認めるに足りる証拠はない。

なお、A1が当時症状としては発現していなかったが大動脈弁狭窄症の基礎疾患を有していたかどうかについては後記(3)で論じることとする。

(2)  A1は、本件違法な身柄拘束、取調べにより相当のストレスを受けたこと

A1に対する違法な身柄拘束について、五月二四日から七月三日の四一日間に限っても、三二日間、合計約二〇六時間の取調べが行われ、特に六月からの取調べは、ほぼ連日、日曜日の休みもなく行われ、その取調べは夜間及び、午後九時以降まで取り調べた日が二二日間、午後一〇時以降に取り調べた日も、六月一日(午後一〇時)、六月七日(午後一〇時四八分)、六月八日(午後一〇時二〇分)、六月一〇日(午後一〇時一五分)、六月一二日(午後一一時一五分)と五回あり、A1が本件殺人を否認していることもあってその取調べは相当程度厳しく行われたこと(取調官のF自身声を荒くして言ったことを認めている。乙二二三号証)、A1は、道路交通法違反等の罰金前科二回を有するものの、逮捕され身柄を拘束されたうえで取調べを受けるのは、この時が初めての体験であったことなどを考慮すると、A1は右取調べにより、相当強いストレスを長期間にわたって受けたものと認められる。

(3)  大動脈弁狭窄症は、ストレスによって発現悪化する可能性を否定できないこと

大動脈弁狭窄症の成因には、リウマチ性、先天性二尖弁の石灰化、正常三尖弁の変性・石灰化などがある(乙四八四号証二七六頁及び二九八頁)。そして、その病態生理は、弁狭窄が左室からの血液流出の抵抗になり、左室内圧は上昇し、慢性の圧負荷に対する代償作用として左室は求心性肥大をきたすというものである。

ところで、大動脈弁狭窄症は、有意な狭窄があっても左室の代償作用により長期間無症状のことが多く、症状は末期の状態で出現し、失神、狭心症、呼吸困難(左心不全兆候)がその三大特徴であり、成人における本症の大部分は四〇歳以上で大動脈弁の石灰化により進行するものであるともいわれていること(乙四八四号証二七七頁)を考慮すると、控訴人らが主張するとおり、A1は、第一次逮捕以前から大動脈弁狭窄症の基礎疾患を有していたが左室の代償作用により無症状であったところ、加齢によりたまたま本件身柄拘束中に具体的症状が発現したものとみられなくもない。

しかし、他方、現時点において、A1の大動脈弁狭窄症がいかなる原因で発生したのか必ずしも明らかでないが、大動脈弁狭窄症の原因として、前記のとおり種々のものがあるところ、近時は、リウマチ熱の減少により、リウマチ性大動脈弁狭窄の頻度は減少し、虚血(血流の減少ないし停止)性ないし変性によるものが増加しており(乙四八三号証一二〇三頁、一八〇一頁、同四八四号証二九八頁)、特に壮年期以降になると、リウマチ性は減少し、粥状硬化性の大動脈弁狭窄などが多くなるといわれること(乙四八三号証一八〇一頁、甲七一号証一一五九頁)、石灰化大動脈弁狭窄は大動脈弁が石灰化し、狭窄症状をきたしたものをいうが、これには動脈硬化性のものもあり、動脈硬化性ではまずアテローム(粉瘤)性病変から始まり石灰沈着により大動脈弁が侵されるという経過をたどる(甲八六号証一一七九頁)ところ、長期のストレスは、高コレステロール血症・血液凝固能亢進を介して、冠動脈硬化を促進し(甲四三号証一七四頁)、大動脈弁弁膜症(同狭窄症を含む。)が発症する可能性があること等を総合すると、ストレスなどによって発症した虚血性心臓疾患により、弁の動脈硬化性をきたし、結果として大動脈弁狭窄症の発生を招く可能性は否定できない。

したがって、以上を総合すれば、本件身柄拘束下におけるストレスに起因して大動脈弁狭窄症を生じさせ得る可能性は否定できないものである。

(4)  A1の心臓疾患は、昭和四四年八月二七日付診療票で初めて明らかになったもので、本件違法な身柄拘束の始点である同年五月二四日時点では発症していなかったこと

以上の諸点を併せ考えると、本件違法な身柄拘束ないし取調べとA1の心臓疾患(大動脈弁狭窄症)との間には相当因果関係があると認めるのが相当である。

そして、A1が昭和五八年に身体障害者等級三級と認定された際、障害名は左室肥大兼冠不全症と記載されていたが、前記のとおり、これらの症状は大動脈弁狭窄に基づいて発生したとみられる。

なお、前記大動脈弁狭窄症の発生原因に照らすと、A1にその基礎疾患が存在し、本件身柄拘束、取調べのストレスが契機となって疾患が悪化し、具体的症状が発現した可能性も否定できないが、仮にそうであるとしても、右ストレスが契機となって具体的症状が発現した以上相当因果関係を否定することはできず、その基礎疾患の存在も一応の可能性に止まるからこれにより損害額を減額すべきものとは解されない。」

二  同一四一枚目裏一一行目の次に改行のうえ次を加える。

「なお、A1は、平成七年三月二一日に死亡したが、本件不法行為による逸失利益の算定にあたって、本件不法行為により、身体的機能の一部を喪失し、労働能力の一部を失った以上、右労働能力一部喪失による損害発生後、被害者が死亡したとしても、右身体機能の一部を失った時点で、その死亡の原因となる具体的事由が存在し、近い将来における死亡が客観的に予測されていたなど特段の事情がない限り、右死亡事実は就労可能期間の認定上考慮すべきでない(最高裁判所平成八年四月二五日判決民集五〇巻五号一二二一頁参照)と解すべきところ、本件においては、A1の後遺障害発生の時点で、A1の死亡を予見できるような事情は存しない。よって、A1の死亡は、既に算定した逸失利益の額に変動を及ぼさないものと解する。」

三  同一四四枚目表五行目の「認めるべきである。」の次に次を加える。

「なお、控訴人らは、被控訴人A2が、A1の長期の勾留、有罪判決の宣告に伴い、社会生活において数々の不利益を受け、そのため多大の精神的苦痛を被ったとしても、これらの精神的苦痛は、通常、公訴の提起、追行、有罪判決の宣告等に必然的に伴うものであるから、その精神的苦痛は、A1の無罪が確定し、同人の精神的苦痛が慰謝されることにより当然慰謝される範囲内にある旨主張するが、被控訴人A2は、夫A1と長期間隔絶されたのみならず、その無罪が確定するまでの間、殺人者の妻として世間から有形、無形の非難にさらされる中で、それに耐えながら五人の子どもを養育してきたもので、その精神的苦痛は、A1が無罪が確定し、同人の精神的苦痛が慰謝されることにより当然慰謝されたものとはみられず、この点に関する控訴人らの主張は採用できない。」

四  同一四四枚目裏三行目の次に改行のうえ次を加える。

「三 A1の死亡による相続

A1は、平成七年三月二一日に死亡し、同人の権利義務一切は、同人の妻被控訴人A2と同人の長男被控訴人A3が各二分の一ずつ承継した。したがって、A1の損害額金三五九九万五三六七円については、承継人となった被控訴人A2及び被控訴人A3が各二分の一の金一七九九万七六八三円を承継した。

四  被控訴人らの損害額合計

以上によれば、被控訴人A2の損害額は二一二九万七六八三円、被控訴人A3の損害額は一七九九万七六八三円となる。

五  遅延損害金の発生時期について

不法行為による損害の遅延損害金は、不法行為時から発生するもので本件各損害も遅くともA1が保釈された昭和五五年一二月五日には発生しているものと認められる(前記のとおり、A1が身体障害者等級三級の認定を受けたのは、昭和五八年であるが、右保釈時点で右障害状態にあったものと認められる。)。したがって、被控訴人らの被った損害の遅延損害金の発生時期は被控訴人ら請求の昭和五五年一二月五日とするのが相当である。」

第一〇  結論

以上によれば、被控訴人らの請求は(本件附帯控訴により拡張された附帯請求を含む。)、控訴人らに対し、被控訴人A3に対し一七九九万七六八三円、被控訴人A2に対し二一二九万七六八三円及びこれらに対し昭和五五年一二月五日から各完済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める限度で理由があるからこれを認容し、その余は失当であるから棄却すべきである。

よって、控訴人らの本件控訴はいずれも理由がないから棄却し、被控訴人らの本件附帯控訴は右の範囲で理由があるから、これと異なる原判決を右のとおり変更し、訴訟費用の負担につき、民事訴訟法九六条、九二条、九三条、八九条を適用し、仮執行宣言については相当でないのでこれを付さないことにし、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官根本久 裁判官海保寛 裁判官横田信之)

別紙別表〈省略〉

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